安倍晋三元総理大臣の訃報に接して

7月8日、自民党の過去最長の総裁を務めた安倍元首相が遊説先で凶弾に倒れ、逝去されました。我が国のリーダーとして、国内だけでなく世界中に影響を与え、大きな成果を残した、日本を代表する政治家だったと思います。深い悲しみを感じるともに、心よりご冥福をお祈りいたします。選挙期間中に起こったこのような暴力は許されません。強く抗議するものです。写真は、6月27日の錦糸町で行われた参議院選挙の個人演説会の様子です(ちなみに明戸は右から2人目の横顔)。この日もやさしくユーモアのある演説で会場を沸かせていました。

舞台の上ではしばしばお見掛けしておりますが、安倍元首相と実際にお話ししたことが1度だけあります。昨年2021年の都議選、尾久八幡神社は朝から雨でした。始まる前に雨は上がり、境内に集まっていた聴衆を前に出陣式の勝ちどき係を仰せつかっていたので、もう一人の女性区議と安倍元首相と候補者の横に行きますと、「じゃあ、候補者を挟んで立って」と元首相みずからおっしゃるので、こんな偉い人に口答えするのも嫌だなぁと思いながら、「これから掛け合い漫才みないなのをやりますんで」と言ったら、すっと引いてくれて、事は無事に済んだのですが、それが唯一の会話になるとは思ってもみませんでした。

錦糸町の個人演説会では、荒川・台東・墨田が集まって1つの演説会だったのですが、荒川区の紹介を代理で頼まれていて、1,000名程もいたのでしょうか、最後まで緊張して待っていて、何とか先輩が上手だったと褒めてくれるなりには終えて、あー終わったと最後まで残っていた安倍元首相の方をなぜか見たんです。すると私の視線に気づいてか、ちょっと舞台の方を一瞥したんですが、この時「まさか最後にはならないよな」と思った記憶があります。コロナが始まって以来、お会いできないでそのまま旅立たれる方も多く、その気持ちの延長だったのかもしれませんし、その前の週にはある人と話しながら「突然この世を去らなくちゃいけなくなっても…」と言ったこともあり、コロナ禍3年目の2022年に漂う「まさか」がこの時も頭をよぎったのでしょう。

選挙期間は担当だったせいか、いつも以上に選対会議、車両長、駅頭等々多忙すぎてそのことは忘れて、7月8日いよいよ荒川区に候補者の選車が来るというので、私は午前中から区役所に詰めて早めの昼食を取っていた12時前、町屋から参加するはずだった先輩議員からLINEが入り、「安倍元首相、撃たれて重体」。目を疑うような内容に何人かいた先生達と大慌てでTVを見たりしましたが、確からしい。遊説の合流時間が来たので区役所の裏手で選車を待ち、着けば着いたで遊説を続けるのか問合せをしてる代議士、私にも墨田から連絡が来たり、ひとまず続けると決まり、町屋まで15分遅れで出発、候補者・代議士と同乗して、町屋到着。短いスポット街頭を行う。終わる端から女性の記者が寄ってきて「安倍元首相が銃弾に倒れましたが…今のお気持ちを」と候補者にマイクを向ける。なかなか上手くは答えれない。代議士が代わりに応えて、車は出発、代議士が一人でマイクを握っていた。あらかわ遊園まで着いたところで、これ以後の本日の遊説は中止となり、みなで三々五々帰りました。

しばらくは整理が付かなくて、心の穴はぽっかり空いたままでしたが、顔を洗いながら掃除機をかけながらつらつらと思い返していると、多くのことを成し遂げた方だけど、安倍元首相は自民党の中で唯一「女性活躍」を笑顔をもって、尊敬のまなざしで、本気で行おうとした政治家だったのだと思い出します。男であろうと女であろうとリーダーは実力だと私は思っているので、自分はまだまだ実力不足としても、いつかそんな日が来るなら褒めてくれるのは、安倍元首相かもしれないと思ってた節があったんだと気づいたのは最近のことです。返すがえすも残念なのは、褒めてもらおうと思ってた人がもうこの世にいない、他に代わる人もないこと。人の存在は唯一無二で代わりはいないと言うけれど、私にとってさえそうだったように、多くの人にとって大きな存在だったんだなと思います。

ことの顛末は明治以降日本でもこれまでもいくたびか繰り返された暗殺事件と言えるのでしょう。伊藤博文、原敬、犬養毅、高橋是清…ノンフィクション作家の堀川惠子さんが7月12日の読売新聞で、「人々の善意と信頼、そして『言葉』が前提の民主主義はガラス細工のように脆い。…先人たちが築きあげてきた自由で平穏な暮らしをこれからも享受するために」「自らの発する言葉に責任を持つ」と寄稿していた。私もその一歩から始めたいと思う。

自民党の敷地内に設けられた献花台
半旗が掲げられた自民党本部