profile

 
明戸(あけど) まゆみ  |  本名:井口 真弓美 (いぐち まゆみ) 旧姓:明戸      家族:夫(歯科医師)

 【役職・所属】 2014年年度
 ●荒川区議会:健康・危機管理対策調査特別委員会 委員長
 ●荒川区議会:建設環境委員会 委員
 ●議会運営委員会 委員
 ●消防団運営委員会 委員
 ●都市計画審議会 委員
 ●清掃審議会 委員
 ●荒川区自民党区議会議員団 副幹事長
 ●あらかわ区まちの駅ネットワーク 事務局長
 ●あらかわ観光ツーリズム連絡協議会 事務局
 ●NPO法人 地域交流センター 客員研究員

 

●尾久消防団 第6分団 班長
●荒川相撲甚句会 会員
●ホタルの会 会員
●バドミントン協会 会員

●日本ケルト学会 会員
●(社)東京青年会議所OB会
●東京荒川西ライオンズクラブ
   【役職・所属】 2008-2013年
 ●荒川区議会:文教子育て委員会 委員(2008・2013年度)
 ●荒川区議会:福祉区民生活委員会 委員(2009年度)
 ●荒川区議会:建設環境委員会 委員(2011・2014年度)
 ●荒川区議会:総務委員会 委員(2010、2012年度)
 ●荒川区議会:震災対策・危機管理特別委員会 委員(2008-2009年度)
 ●荒川区議会:震災対策・危機管理特別委員会 副委員長(2010・2013年度)
 ●荒川区議会:観光・文化推進調査特別委員会 副委員長(2011-2012年度)
 ●荒川区自民党区議会議員団 政調会副会長(2009-12年度)
 ●荒川区地域開発公社(ACC)評議員(2008-2010、2012年度)
 ●荒川区青少年問題協議会 委員(2008-11、2013年度)
 ●荒川区土地開発公社評議会 委員(2008-2010年度、2013年度)
 ●荒川区住宅対策審議会 委員(2010-2011年度)
 あら坊妹キャラクター選定委員会 委員(2012年度)
 ●荒川区国民健康保険運営協議会 委員(2012年度)

 【著書】
 ●『海洋観光立国のすすめ〜こころ美しい日本の再生』(2007年3月・七つ森書館、中瀬勝義・庄司邦昭とともに共著)
 ●「みなとまちづくり通信」(『港町から』 2008年@倉橋島、2009年A横須賀・浦賀、2009年B敦賀)
 ●「みなとまちを交流の舞台に―みなとまちの人情と魅力を語る」
  (2010年7月、(財)日本交通公社、『観光文化 202号 特集:みなとまちの賑わい再生―港とまちの一体化を!!』)
  (http://www.jtb.or.jp/publishing/index.php?content_id=157で有料ダウンロードできるようです)
 ●『詩集*楽しい老後』(2006年8月:自主制作)

 


 【経歴】

 ●生年月日

昭和45(1970)年9月18日 (40才) 3人兄弟の長女

 ●本籍地

青森県

 ●学歴

1985年4月 −1988年3月
青森県立三本木高等学校 普通科 卒業

1995年4月 −1999年3月
岩手大学 人文社会科学部 人文社会科学科 卒業

1999年4月 −2003年3月
東京大学 大学院 総合文化研究科 修士課程 言語情報科学専攻 修了

2004年4月 −2007年3月
國學院大學 大学院 経済学研究科 博士課程後期 経済学専攻 満期退学


 ●職歴

1988年4月 −1989年10月
(株)田清商店(青森県十和田市) 事務員

1989年10月 −1991年4月
(有)高木新聞店(青森県十和田市) 新聞配達員

1991年4月 −1994年2月
東北農政局、県農業試験場、市役所(青森県十和田市) 臨時職員

2003年4月 −2008年10月
NPO法人 地域交流センター(東京都港区) 研究員
 「日本ぐるっと一周・海交流」、
 「安全・安心まちづくりワークショップ」
 「お台場Eボート防災交流大会」、
 「都心の水辺探訪クラブ」等の事務局を担当。

 ●資格

1982年1月 珠算検定3級
1990年6月 普通自動車第1種免許
1994年3月 小原流師範1(いけばな)
1999年3月 中学校・高等学校教職免許
1999年3月 学芸員資格


 ●議員前夜

小さい頃は泣き虫でした。絵を描くのが好きで、紙にも描いたけれど、路上のアスファ
ルトがキャンパスのことも多かった。よく外で遊んだものでした。本を読むのも好きで、
母の買ってくれた『少年少女伝記全集』をコタツの中でさえも読んだりしていました。

小学校までは大阪市西淀川区姫島に住んでいて、まわりは工場地帯で、その当時は
小さいと思っていなかったけど、小さな鉄工所やなんかがたくさん並んだところで育ち
ました。荒川区を一眼で気にいったのももしかしたら昔のなつかしい風景に出会ったか
らかもしれません。

中学校からは青森県十和田市。両親の実家のある町に引っ越してきました。3年間大
阪弁が抜けなくてたいへんな思いをしました。早口でしゃべる地元の子達の言葉は3
回聞いても聞き取れず、時には転校生ということでいじめられたこともありましたが、
なんとか乗り切り、良い先生にも会えたので今は楽しい思いでです。

高校は、地元の普通高校の三高へ行きました。他に工業高校、農業高校、商業高校
の他は私立ということを考えると他に選択肢はありませんでした。楽しい高校生活で
した。今でも年に数回実家に帰る時に会うのはこの時代の同級生です。言葉で表現
をしようと考えて実践したのもこの頃で、笑ってくれる人がいたのでずいぶんシニカル
なジョークを言ったりもしていました。

中学・高校とバドミントン部に入っていました。バドミントンというのは結構ハードなスポ
ーツで、今体力があるのはこの頃にずいぶん体力づくりをしたからだろうと思われます。

高校3年生の時の大学受験は失敗したので、地元の洋服屋さんに就職しました。総務
でお釣りを数えたり、両替しに銀行に行ったり、仕入等の入力をしたり、ダイレクトメー
ルの宛名を書いたりしておりました。初めて出た社会なので、勉強になることもたいへ
ん多かったですが、女性の職場に嫌気がさして(19才で若かった!)退職。

今度は事務じゃなくて体を動かす仕事をしようと新聞配達所へ就職。新聞配達は夜
中の2時に起きて、眠い目をこすりながら 新聞集配所まで行きます。チラシを折り込
んで、朝6時までに全部で250件ほどの家々へ配達します。雨の日も風の日も、台風
の日も、大雪の日も。でも一番つらいのはみぞれの日。新聞は濡れるし、水溜りの下
には氷が隠れているから自転車でも原付バイクでも転んでしまう。真っ白な田んぼの
雪の原に新聞が散乱する。

新聞配達は集金もセットでこれまたかなり辛い。いない人の家へ何回も行くことたび
たび。ある年のクリスマスの日、いつもと同じように集金に行ったら、「新聞屋さーん」
と呼ぶ声。忘れ物かと思ったらチョコレートをくれるという、クリスマスプレゼントだと。
うれしくて泣きながら帰った思い出があります。最初のうちはまた集金人が変わった
のかと叱られたりしましたが、最後の頃には信頼を得れて事故にあった時は心配し
てくれた人もいたのはその後の人生に大きな影響があったと思います。

新聞配達は1年半くらいでしたが、最後の5ヶ月は、家に若い娘が昼間いるもんでな
いという母の言葉に負けて、昼は十和田市役所の農業委員会の臨時職員、夜から
朝にかけては新聞配達。1日12時間くらい働いていました。給料は多かったけど、あ
と1ヶ月で臨職が終わるという時に、朝6時頃、新聞配達を終えて原付バイクに乗っ
て、集配所まであと100mという地点で車に轢かれてバイクは大破、私は一回転して、
その間に轢いた車はひき逃げを遂げたのでした。

ケガはくるぶしのヒビで済んだが歩けないので、3ヶ月程休んで、そのまま仕事も辞
めにして。この時期は「人生でこんなに暇なのは今だけだろう」からと家でたくさん本
を読みました。

整形外科と接骨院に掛かっていましたが、この接骨院である老女が農林事務所で
臨職のアルバイトがあるからと誘ってもらったのが縁の始まりで、農政局、県の農業
試験場、短いものでは家畜保健所、土木事務所と24才で大学の受験をするまで様
々な出先機関でお世話になりました。

これまた後1ヶ月で農業試験場の臨職が終了という時、これまた風邪だと思っていた
のが腎盂炎で2週間入院し、入院生活を始めて経験しました。この時に私の母はな
ぜか「この子を大学に行かせてあげよう」と思ったそうです。

1年通信教育で受験勉強して、センター試験を受けて、弟が高校を卒業するのと交
換に私は岩手大学に入学しました。大学時代にがんばったのは、勉強と大学祭とア
ルバイトも少し。興味のある授業を取って得た単位は卒業単位のちょうど2倍の252
単位。大学祭は2年の時が広報部長で、校内装飾、ポスター、パンフレット、案内標
識、対外広報を一手に引き受け、というか仕事を割り振り、「マシェリ」という盛岡で出
始めたばかりのコミュニティ誌に折り込み広告を打ち、「らしく」ということで校内全部
に万国旗をはりめぐらせたり、ベニヤ3枚を合わせた案内版をつくったり、来た人が
今年から「規模が大きくなったのか」と私に知らず尋ねたその言葉がうれしくて・・・。

この大学の4年の夏に、ドイツ語の集中講義に来た東大の臼井先生に勧められて、
神話研究を卒論に書き、大学院に行くことにして、東大の駒場を受験しました。6時
間の筆記試験、外国語3種類(英語・フランス語・ラテン語)、記述、面接の試験に、
6倍の倍率でしたが、なんとか合格し、東京に来たわけです。

色々あって卒業までが長かったので、アルバイトもたくさんしていました。長かったの
は、東京都老人総合研究所(心理・言語)、初台のスチュワーデスになりたい女の子
のための専門学校の教養の先生。どちらもかなり勉強させていただきました。

修士終了後、まちづくりコンサルの老舗、NPO法人地域交流センターに就職しました。
こんな仕事が世の中にあったのか!と思ったほどでしたが、たぐいまれなる田中栄
治という人物と出会えたことがまた新しい世界に出会える一歩だったことは確かです。

・・・とまだまだ続くのですが、まぁここまで来て言えるのは、信頼こそすべて。信頼し
たら、覚悟を決めてとことん付き合う、それが私のモットーかな。

ひとつだけ。選挙に出ることになったきっかけは?とよく問われますので、そのことに
ついて。2004年に荒川区の諏訪台中学校で「安全・安心まちづくりワークショップ」とい
うのを地域交流センターが事務局で開催しました(ちなみに2004年はかの事件があっ
て区長が途中で変わった年です)。その事業の担当だったので、何回か区役所や関
係者を訪ねてきていたのですが、その時に「あー荒川区って面白いところだなぁ」と思
ったのがきっかけで、今まで住んでたところを引越すことになった時に、荒川区で住む
ところを探しました。その「ワークショップ」の時にお世話になった方が近くに住んでい
て、今度、法人会有志で町屋の駅前を毎月8日に掃除をするから手伝いに来るように
というので毎月通って、3年程経った時に、ある議員さんが亡くなって候補者を公募し
ているからというのを聞いて、公募に応じたというのがきっかけです。その時の私なり
の政治に打って出ようと思った理由は「民主主義をもう一度考えなおしたい」ということ
でした。日本の政治は本当に民主主義なのか、選挙も社会の仕組ももう考え直す時期
にきたのではないだろうかと思ったのがきっかけでした。そこはまだ経験の浅い私です
ので、多くの人の意見を聞いて答えを出していければと思っておりますので、ぜひご意
見をお聞かせいただければと思います。

まだまだ語りつくしておりませんので、今度ぜひ直接お聞ききください。